保原歴史文化資料館
歴史文化資料館では、伊達市の歴史文化資料の収集・整理・保存・展示や郷土史調査の支援などを行っています。また、明治の擬洋風建築「旧亀岡家住宅」(県指定文化財)を併設、公開しています。
伊達市保原歴史文化資料館は郷土に関する様々な歴史資料や文化資料の収集・保存・整理に努めています。また、皆様のご要望に沿った展示や各種講座の開催に努めています。郷土の学習に必要な参考図書や関係資料を備えてご来館をお待ちしています。併設している旧亀岡家住宅は建築技術の宝庫です。ぜひご案内させて頂きたいと思います。
住所 | 福島県伊達市保原町大泉字宮脇265 |
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TEL | 024-575-1615 |
飛鳥山十二景(あすかやまじゅうにけい)
享保年間に、8代将軍徳川吉宗は荒地だった武蔵国豊島郡の飛鳥山(東京都北区)に千本の桜を植え、王子権現の社地として市民へ開放し、その管理を権現の別当である金輪寺に任せた。これを記念して元文2年(1737)に、金輪寺住職宥衛により「飛鳥山の碑」が建てられた。飛鳥山はのちに向島、上野と並ぶ桜の名所になり、多くの和歌・漢詩に詠まれ、錦絵などにも描かれた。
「飛鳥山十二景」は幕府の儒臣林信充が享保年間のころ飛鳥山の丘陵に景勝地十二箇所を選び漢詩を詠んだのに始まる。林家は幕府の儒家で、江戸昌平坂の湯島聖堂に家塾を構えていた。家禄は千五百石であった。歴代が聖堂の祭酒職を世襲した。信充はその4代目である。
景勝地の名は筑波茂陰、秩父遠影、滝野川夕照、梶原村田家、王子深樹、平塚落雁、鵠台秋月、染井夜雨、黒髪山残雪、豊島川帰帆、中里晩鐘、西原晴嵐の十二景である。享保18年の林信充の序文が残されているので、出版の意図があったらしいが、果たされなかった。林信充の漢詩は金輪寺に秘蔵された。元文4年には、江戸の歌人12人から十二景それぞれに和歌をもらい、元文6年(1741)芥川寸艸編、狩野友信の風景画を添えて一冊の本「飛鳥山十二景倭歌」としてまとめられ、こちらが先に出版されてしまった。これには元文4年の魯庵龍常義友賢甫による「飛鳥山十二景倭歌跋」が載っているが、序文はない。
さらに後年、安政5年(1858)林信充の漢詩、12人の歌人たちの和歌、鵞湖木雄による新たな風景画、飛鳥山碑などを所載して新版「飛鳥山十二景詩歌」が出版された。実はこの本の跋(後書)の一つを保原出身の松前藩士熊坂蘭斎が書いている。この本には数種の版本があると見られ、ほぼ内容は同じであるが別書体の「飛鳥山勝景」「飛鳥山十二景詩歌并碑」(ともに安政5年刊)と題された本もある。元文3年1月の服部南郭の「飛鳥山碑帖序」、元文3年春の江忠囿の「飛鳥山碑帖跋」、元文4年の魯庵龍常義友賢甫の「飛鳥山十二景倭歌跋」等も載せているので、元文3年に「飛鳥山碑帖」という本が出版されていた可能性が考えられる。
このころ熊坂蘭斎は松前藩の中でも開明派として力を振るっていたらしい。これまで兄適山の本や自らの本の出版に携わるなど、出版事業は手馴れたものであったと見られる。また既にオランダ語にも通じ、「和蘭文典前編」という辞書も著していた。 熊坂蘭斎の一族で高子村へ移住していた熊坂覇陵が「高子二十境」を創始したのは享保年間のことで、まさに林信充が「飛鳥山十二景」の漢詩を創作した時期と重なる。
覇陵の子台州が「高子二十境」を「永慕編」の中に組込み出版したのは天明8年(1788)であった。蘭斎の頭には郷土の名勝「高子二十境」が意識されていたことは言うまでもない。
旧亀岡家住宅案内
施設
建築年 | 平成7年 鉄筋コンクリート造り |
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建築面積 | 463.01平方メートル |
延床面積 | 461.51平方メートル |
展示室1 | 67.36平方メートル |
展示室2 | 40.28平方メートル |
郷土資料閲覧室 | 38.35平方メートル |
収蔵庫 | 102.21平方メートル |
研修室 | 39.48平方メートル |
事務室 | 33.74平方メートル |
利用案内
開館時間
午前9:00~午後5:00(最終入館は午後4:30)
休館日
火曜日(祝日の場合はその翌日)、祝日の翌日、年末年始(12/28~1/4)
観覧料
個人 | 大人:210円 小中高生:100円 |
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団体 | 大人:160円 小中高生:80円 |
お問い合わせ
伊達市保原歴史文化資料館
〒960-0634 福島県伊達市保原町大泉字宮脇265保原総合公園内
TEL/FAX 024-575-1615
アクセス
阿武隈急行大泉駅から徒歩5分
JR福島駅から車で30分
東北自動車道福島飯坂ICから30分
「阿武隈急行」ホームページへ